イラスト:石田 光和(エム・プリント)
城下での職業集団は、大工町の大工9軒と鍛冶町の鍛冶16軒で、職業保護として無役(免税)の特権を与えられていた。
その他の職業を町内別に見ると、長井町に油屋、上町に風呂屋、庄内町に駕籠[かご]屋、新[あら]町に茶師(製茶師)がそれぞれ1軒ずつ。大工町には大据挽[おがびき=木挽]、桶屋、塗師[ぬし]が1軒ずつ。また小国町には研[とぎ]師、彫物屋、油屋、駕籠屋、馬喰[ばくろう]、大工が1軒ずつ。本塩町にはあかし屋(灯明)、葺屋[ふきや=屋根屋]、油屋が1軒ずつ。長岡町には大工1軒となっている。
馬喰町は馬喰(牛馬の売買や馬医)などがいた町であろうが、その人数は記されてない。が、8軒が無役の扱いを受けていたのでその人々が該当しよう。
片町は堀片にあった町ゆえについた町名で、久保多町はいまだ成立していない。ゆえに庄内町は出羽庄内道の出入口にあったためについた町名であろう。
以上のような職業分布をみると、建築関係と運輸業に携わる者が多く、風呂屋や茶師は異色である。また衣食業や他の消費物資の製造販売業者は皆無である。
およそ消費的商工業都市とは言いがたく、軍事的な防衛都市の臭いが濃厚であった。けれどこの時代の畿内では、流通経済都市としての城下町がすでに形成されていたから、町造りを推進する、城主・堀直竒[ほりなおより]や彼の側近の脳の中には、防衛と相挨[あいま]った経済中心の町の姿が描かれていたことは間違いない。以後はその方針通り、町は急成長を遂げてゆく。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2009年12月号掲載)村上市史異聞 より