イラスト:石田 光和(エムプリント)
やがて空気を揺すり、地を震わす法螺貝[ほらがい]の音が響き渡ると、人数はさらに増す。その中に密かに忍んでいた一人の男がいた。むろん身なりは百姓と変りがなかったが、水原代官所の目明重助であった。
重助の上司・杉山吉六と富沢寛蔵は、中越方面の騒擾*[そうじょう]により下越も誘発される危険があるやもしれぬと、その警戒のために水原へ出張してきたところである。そこへ落文の一件が注進され、重助に潜入を命じたというわけだ。
*騒いで秩序を乱すこと
むろん正体がバレると半殺しの目に遭うが、興奮の極みに達している民衆は重助の潜入には全く気が付かない。かれもまた腰には鉈[なた]を下げ、手には鍬[くわ]を持って、腐れ手拭いで頬かぶりをし、臑[すね]の出る野良着に草鞋[わらじ]を履いて、巧みに変相[へんそう]はしている。
辺りを照らす松明はどれほどの数か。ぼうぼうと鳴る法螺貝の音がぴたっと止むと、一人の男が高台に上がり、衆を前に煽動の演説を始めた。一揆の首謀者らしいが多くの者はその男を知らず、「飯出野の人だすけとは、この男か」「たぶんの、でもどこの誰だや」などと囁いている。
そのうち、どこからか、「野口村の次太郎だとやれ」。
その次太郎、松明に照らし出された容貌は怪異にして不敵で、「人の上に天なく、法はあってなきがごとし。地は荒れて震え、人は嘆き悲しむ。大衆を塗炭[とたん]の苦しみ*に追いやり、一人米金を溜めてぜいたく三昧するは誰だ。その者らの不法を糺す正義はどこにある。俺らは今ここに天に替ってその者らに誅罰を加えようとして決起した。彼奴らの米蔵を開かせ、困窮者を救おうではないか」。
*泥にまみれ、炭で焼かれるような苦しみ
そう叫ぶと、大衆は手に手に斧や鍬で天を突き、「うおう、そうだやれっ、どこだ手始めは」「よーし、その意気高しとする。まずは十二天村[じゅうにてんむら]の三左衛門だ」そう怒鳴るように言うと、再び三たび大衆は「おうーおうーおう」と鯨波[とき]の声を上げるや、どっと十二天村を目指して一目散に駈け出した。時は5月24日九ツ刻*、人家の垣の径を走り、小川や田畑を踏み越え、くねくねした山裾の小径を松明の列がちらちらと続きわたる。
*夜の12時頃
襲撃を察知した三左衛門は、家族を避難させ、自分一人が屋敷に残っていた。やがて一揆勢は屋敷の周囲をぐるりと囲んだ。そのうち怒号[どごう]と喚声[かんせい]が上がり、松明の灯りが燃え盛り、四方から礫[つぶて]が飛んできた。まさに狂乱の礫で、雨戸は破れ、屋根が突き抜ける。
顔色を蒼白にした三左衛門は、転[まろ]ぶようにして外へ出ると、腰を曲げて両手を突き出し、「なにとぞご勘弁を。米でも何でも酒もある限り。どうかお静まりを、どうかお平らに」と哀願するけれど、激高した一揆勢に聞く耳はない。「やっちまえ、積年の恨みだあっ」。
その乱暴狼藉たるやものすごいもので、建具はぶっ壊す、米6俵・大豆4俵・衣類12品を庭先に持ち出して火をかけて燃し、なおも気勢を上げる。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2011年11月号掲載)村上市史異聞 より